本書は2014年11月27日に発売されたのですが、10月にツイートした時点で雑誌『Number』で一部連載されていました。
そちらで少し読んでみて、その時点でめちゃくちゃおもしろかったので私自身は書籍化を切望しておりました。
それが書籍化されたので、早速購入して読みました。
結論から言うとめちゃくちゃ楽しく読むことができました。
まずはじめに
この本はあくまでザッケローニ監督の通訳である矢野氏の日記であり、日本代表の総括ではありません。これは矢野氏自身が本書のあとがきでもそう記しています。
誤解していただきたくないのは、この『通訳日記』は4年間の日本代表活動の総括でもなければ、勝因や敗因を提示するものではないということ。
引用元:『通訳日記 ザックジャパン1397日の記録』p.396
戦術や勝因、敗因について矢野氏は言及していません。
それではどういったことが書かれていたのか。
「通訳」ですから当然ザッケローニ監督とのやりとり、ザッケローニ監督と選手とのやりとり、選手に対してどのような印象を持っていたのか、バックヤードでザッケローニ監督がどのようなことを話していたのかなどなどです。
それを読み解いていくとザッケローニ監督がやろうとしていたサッカー像がわかります。
本書の中から特に興味深かったところをピックアップします。あまりネタバレになるといけないのでふわっと紹介します。
興味深かったところ
長谷部、遠藤の後継者を探し続けた4年間
遠藤(保仁)と長谷部(誠)に代わる選手を育て上げないと。
引用元:『通訳日記 ザックジャパン1397日の記録』p.36
これは2010年12月26日(日)の日記より抜粋しました。就任してまだ3か月の頃です。この時期からザックはボランチの後継者を探していました。
ちなみに監督は”遠藤の後継者は青山”と考えている。「ようやく見つかった」と。
引用元:『通訳日記 ザックジャパン1397日の記録』p.363
そしてこれが2014年6月13日(金)の日記の抜粋です。
遠藤の後継者は青山だったようですが、結局4年かけても長谷部の後継者は見つからなかったのかな。
本書を読んで、ザックにとっての長谷部は唯一代えのきかない重要な選手だったことを強く感じました。
その長谷部がケガ明けで本調子でなかったのはザックにとっても長谷部にとっても悔いの残る結果になってしまったのかなと、そう思いました。
東欧遠征での二夜に渡るMTG
非常に後味が悪い。悪い流れに足を踏み入れているような気がした、10月の東欧遠征だった。
引用元:『通訳日記 ザックジャパン1397日の記録』p.288
これは東欧遠征でのセルビア戦とベラルーシ戦の間の夜に行われたザックと長谷部、遠藤、本田の話し合いについてです。
ザック就任から3年、ワールドカップまであと8か月というこの時点でザックと中心選手(おそらく遠藤、本田)との間に、考えのズレが生じていました。
実はコンフェデのブラジル戦後にザックと遠藤が会話をしているのですが、その際にも同じことを遠藤はザックに質問をしていました。
おそらくザックが求めていることを選手が理解できていなかったのかなと。
この場面では、日本の生命線である左サイドの攻撃が手詰まりになった時のオプションとして逆サイドのサイドバックを使うという話でした。
詳しい話は本書で。
他にも本田自身はゲームメイクを求められていると感じピッチでそれを実践していたが、ザックは本田に対してアタッカー、フィニッシャーとして期待していたのではないかとか。
今現在ミランで本田はそれを実践しているわけだけど、ザックもそれを日本代表でやってほしかったのではないかと思いました。
他にも盛りだくさん
本書に付箋を貼りながら読んだのですが、終わってみれば30か所近く貼っていました。
もっといろいろと紹介したいのですが、きりがないのでとりあえず2か所だけの紹介です。
ザックのやりたかったサッカーとはいったいどういったものだったのか。
それも本書に何度も登場します。
最後に
本書には大満足なのですが、せっかくなのでもう少し矢野氏の感じたことを書いてほしかったかなと思います。
ザックと選手との間を通訳としてどのような工夫をして埋めていったのかとか知りたかったです。
それでもこういったバックヤードの話をのぞける本はなかなかないので非常に興味深かったです。
サッカー日本代表好きならぜひとも読んでほしい一冊です!
専門家が『通訳日記』を読み解いた本の感想はこちら。
追記(2016年9月8日)
2016年9月2日に文庫版は発売されました。
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